≪4月≫ 満開の桜花の下に鶴は舞う

ねりま歳事記

お里帰りと鶴の舞

 
 下練馬の氷川神社(氷川台4-47-3)は、社伝によればもと石神井川鎌田橋の南、お浜井戸(桜台6-32)の旧地にあったという。またここは、ご神体が流れ着いた場所だともいう。だから毎年4月の春祭りには、神輿が神社からお浜井戸まで行列してお里帰りをし、古式ゆかしい鶴の舞を奉納する。かつては、その夜、社頭で田遊びの神事も行われていた。

 
 旧暦卯月(4月)8日は釈迦の降誕した日として、どこの寺院でも華やかな行事が催される。灌仏会(かんぶつえ)とか仏生会(ぶっしょうえ)と言うが、俗に花まつりとも呼ぶ。花を集めてきれいな小堂をしつらえ、中に釈迦の立像を安置し、その像へ甘茶を灌(そそ)いで供養するのである。今はほとんど新暦で行うようになった。農家ではこの甘茶で墨をすり、虫除けのまじないを紙へ書いて柱などに張る。
 ちょうどそのころ、山から里へ降りて来た田の神が村々の田を巡幸し稲の豊穣を予祝して回るという信仰がある。氷川神社のお里帰りもこのご神幸を兼ねたものであろうか。
 行列は古式通り神社から石神井川に沿って鎌田橋を渡り、お浜井戸へと練り歩く。紋付羽織袴に威儀を正した氏子の代表たちは、半開きの扇を口に当てて、のどかに道中歌をうたいながら行く。満開の桜の花の下で、そんな行列を見ていると、遠い昔の農村練馬にいるような錯覚におちいる。

≪4月≫ 満開の桜花の下に鶴は舞う

≪4月≫ 満開の桜花の下に鶴は舞う

 
 お浜井戸では渡御(とぎょ)の神事が行われ、獅子舞と鶴の舞が奉納される。鶴の舞は和紙を細長く切って鶴の羽を象(かたど)った冠(かぶ)り物をつけた雄雌2羽の鶴が揃って羽織の裾を両手で広げ、太鼓の音に合わせて舞うしぐさをする。舞が高まると次第に2羽の鶴は寄り添い、首と首とを付けて交合の形を表わしながら舞いおさめる。
 鶴は祭神と水神の化身とされ、五穀豊穣と子孫繁栄をもたらしてくれる。このあと鶴の精に擬して白酒を酌み交わし、お浜井戸での神事を終わり、再び行列して神社へ戻る。

奥之院御開帳

 旧暦3月21日は弘法大師入寂の日で、真言宗の寺院では御影供(みえいく)という法要が修行される。現在は高野山が新暦と旧暦の3月21日に2回行っている以外は、たいてい月遅れの4月21日になった。天保9年刊『東都歳事記』3月21日の条に「谷原村長命寺 世俗新高野と称す。山びらきあり。都下より詣人多し」とある。このころ江戸では、弘法大師御府八十八か所巡りというのが流行していて、今の練馬区内では南蔵院(中村)と三宝寺(石神井)とこの長命寺(高野台3-10-3)が入っていた。
 長命寺奥之院の境域は紀州高野山に模して開かれたので東高野山とか新高野山と呼ばれ、江戸の人びとの間でも大へんな人気であった。現在は東京都の指定史跡になっている。

 
 さて、この日長命寺では、ふだん開扉しない奥之院が開かれ、盛大な弘法大師御開帳法要が挙行される。同時に信徒の子どもたちの無病息災を願って稚児行列も催される。昔は稚児行列と共に、俗に花嫁市と言う風習があった。それは前年新しく嫁入りした嫁と姑が、結婚式のときの衣装をつけて参詣するのである。嫁にとっては家内の円満と繁栄を、姑にとっては嫁が無事に家におさまるようにとの願いからである。昭和30年代中ごろから花嫁姿の参詣は見られなくなって、現在は大方ふだん着でのお参りだけになった。
 4月21日から23日までの3日間、境内は植木市でにぎわう。昔は農具市として相当盛んであったのだが、最近は花嫁市もすたれ、植木市の名のみ高くなってしまった。

≪4月≫ 満開の桜花の下に鶴は舞う

4月のこよみ
  6日 新学期、区立小学校入学式
  7日 区立中学校入学式
  8日 花まつり、虫除け
9・10日 春祭り(氷川台氷川神社・田柄八幡神社)、お浜井戸お里帰り、鶴の舞
  15日 御獄・榛名・大山講等代参
  21日 弘法大師御影供、長命寺植木市
  29日 天皇誕生日

 このコラムは、郷土史研究家の桑島新一さんに執筆いただいた「ねりまの歳事記」(昭和57年7月~昭和58年7月区報連載記事)を再構成したものです。
 こよみについても、当時のものを掲載しています。
 *令和3年4月1日現在、4月29日は「昭和の日」として、国民の祝日になっています。

写真上から順に
・氷川神社の春祭り 神輿渡御の行列(昭和54年)
・氷川神社の春祭り 神輿渡御の行列(石神井川沿い 昭和30年)
・氷川神社の春祭り 神輿渡御の御供道中歌(鎌田橋 平成18年)
・氷川神社の春祭り 鶴の舞の奉納(お浜井戸 昭和54年)
・氷川神社の春祭り 獅子舞の奉納(お浜井戸 平成18年)
・長命寺奥之院御開帳 稚児行列(昭和31年)
・長命寺奥之院御開帳 植木市(平成5年)