≪11月≫ とうかんやと酉の市

ねりま歳事記

田の神が山へ帰るとおかんや

 旧暦10月上旬の亥の日を特に「亥の子(ゐのこ)」といい、この日に作るぼたもちを「ゐのこもち」といった。もともと亥の子は、上亥の亥の刻(午後10時)にあんの餅を食べて万病を払うというまじないの一種であった。それが猪は多産であるところから子孫繁栄や、農作物の豊穣を祈願する祝いとなった。
 一方、同じ旧暦10月10日の夜を十日夜(とおかんや)といって、この日までに稲の刈入れが終った田の神が、山へ帰るとされている。とおかんやには村の子供たちは新わらを縄で束ねてわら鉄砲を作り、口々に〝とおかんや、とおかんや、十日のぼたもち、なまでもいい〟などと囃したてながら、わら鉄砲で地面を叩いて歩く。この音を聞いて、畑のもぐらは逃げ出し、大根がどんどん育っていくのだという。この日のことを所によって「大根の年越し」ともいっている。
 とおかんやのぼたもちは大きければ大きいほど大根がよく育つと、重箱にやっと二つ入るくらいの大きさであった。亥の子餅も同様で、豊玉では大きいもののたとえに「おゐのこさまのぼたもち」のようだといった。
 この頃には稲の収穫が終り、刈上げ、鎌洗いなどといって農具をまつる行事もある。ぼたもちに限らず、まんじゅう、うどん、小豆粥など普段と変ったものを作って供える。練馬地域はこれらの行事が習合し月おくれの11月に行われる。
 なお、とおかんやからこたつを開くのがならいであった。

酉の市で賑う大鳥神社

 
 亥の日の2日前が酉の日でお酉様である。区内では練馬駅と石神井公園駅のすぐ近くに大鳥神社があってこの日酉の市で賑わう。お酉様には縁起物の熊手がつきものだが、それは開運をかき集めるという庶民のささやかな願いからだ。今年の酉の日は10日、22日の2回だが、三の酉のある年は火事が多いといわれている。

七五三(11月15日)

 
 七五三は3歳と5歳の男児、3歳と7歳の女児の祝儀である。3歳は男女ともに髪置(かみおき)の祝い、5歳は男児の袴着(はかまぎ)の祝い、7歳は女児の帯解(おびとき)の祝いである。髪置の祝いは頭の頂に髪の毛を丸く残して、その周りを初めて剃刀でそり落し、赤子から幼児へ仲間入りする祝いである。袴着は男児が初めて袴を着す祝いで、古くは男女とも3歳の誕生日に行う儀式であった。江戸時代女児の祝いが7歳になるに対して、袴着の祝いは男児5歳の祝いとなった。まず男の児を碁盤の上に立たせ、左の足から先に袴を通すのが習いであった。
 女児7歳の祝いは、それまで附紐(つけひも)を帯の代用にしていたのを、これからは附紐を取り去り着物の脇を塞いだ仕立の小袖に帯をしめる。帯直しとも紐解きの祝いともいう。

 戦前までは区内でも村ごとに、その歳の子供のいる家では盛大に七五三を祝ったものである。着飾った子供は、真新しい印半纏をまとった若い衆の肩に乗って、家族に付添われながら村の鎮守にお参りする。集った村の人たちへは餅やみかんが配られる。七五三は子供の成長を親ともども氏神に報告し祝う行事であると同時に、村の子供組へ加入することが許される儀礼としても大変重要なものであった。
 最近はこうした七五三の本質が見失われ、商業ベースにのった派手な形だけが目立ってきた。

11月のこよみ
 2日・3日 南大泉妙福寺お会式
      (宗祖日蓮聖人の忌日を供養する法会、万灯行列や稚児行列がある)
    3日 文化の日
    8日 立冬
   10日 とおかんや。一の酉、練馬大鳥神社、石神井大鳥神社酉の市
11・12日 旭町本覚寺お会式
   12日 亥の子
   15日 七五三
   18日 大泉学園町本照寺お会式
   20日 えびす講。昔はこの頃から沢庵漬用の大根干しが始まる
   22日 二の酉(前記大鳥神社で酉の市)
   23日 勤労感謝の日(昔の新嘗祭 新穀を神に感謝する日)
   24日 法性院お会式。旧暦の亥の子
   25日 旧暦のとおかんや
   30日 荒神様のお帰り

このコラムは、郷土史研究家の桑島新一さんに執筆いただいた「ねりまの歳事記」(昭和57年7月~昭和58年7月区報連載記事)を再構成したものです。
こよみについても、当時のものを掲載しています。

写真上:稲の天日干し風景(昭和31年)
写真中:酉の市(練馬大鳥神社 平成元年)
写真下:七五三(豊玉南・氷川神社 昭和42年)