≪6月≫ 御霊(ごりょう)を崇め祭り、鎮めて

ねりま歳事記

≪6月≫ 御霊(ごりょう)を崇め祭り、鎮めて

天王様と粉初(こなばつ)

 6月は全国的に数の多い祇園さん、天王様の祭り月である。昔の人は、人間の生命や自然の作物を蝕む疫病や災厄などは、悪神・悪霊の仕業であると考えていた。その悪神は御霊(ごりょう)と呼ばれる神であって、天王様も有力な御霊の神の一つであった。天王とは牛頭(ごず)天王のことをさし、祇園精舎の守護神なのである。さらに牛頭天王は素戔嗚尊(すさのおのみこと)であるともいわれている。御霊は、ふだん暴威を振う荒々しい神であるが、崇め祭る(あがめまつる)ことによって、鎮まり、慈悲深い加護を垂れてくれると信じられている。そこで6月は八坂・須賀・氷川・津島など素戔嗚尊を祭神とする同系列の神社で、盛んに夏祭りが催される。現在は京都八坂神社祇園祭のように7月になったところもある。

 
 練馬区内では昔から豊玉南の氷川神社と、北大泉(現 大泉町一丁目)の八坂神社が天王様として知られている。豊玉氷川神社の境内社、須賀神社の祭神が牛頭天王であるので、6月15日は「中新井の天王様」といって近郷近住の参詣人で賑わった。古老の話では、祭り近くなると子どもや雇人たちは、仕事が手につかないほど楽しみだったそうである。ここの祭りは、田んぼの中を暴れまわる神輿が人気の中心であった。
 文化10年(1813)に造られたその神輿も寄る年波と時代の流れで、今は拝殿に鎮座するだけとなった。かつての須賀神社の拝殿は釘を一本も使わない珍しい建築で、神楽殿として現存している。

 北大泉の八坂神社は「中里の天王様」と呼ばれ、昔からつづいている神楽囃子が境内の額堂で奉納される。ここの氏子たちはキュウリを畑に作らず、食べることもしなかった。キュウリの切り口が天王様の神紋に似ているから、神罰を恐れてのことだという。
 またこのころ、新しく穫れた小麦を粉にひき、それを嫁に持たせて実家へ一日帰す習わしがあった。嫁の実家ではその粉でかわりものを作って婚家の土産にした。粉初とも、嫁の節句ともいった。

夏越(なごし)

 6月晦日を大祓(おおばらい)とか六月祓(みなづきばらい)あるいは夏越(名越ともかく)などという。1年を半年ずつ二季に分け、12月大晦日の年越祓と対をなすものである。12月は正月の、6月は盆の、いずれも重要な祖霊祭を前にしての物忌みの行事である。特に夏は悪疫の流行が多いので、罪けがれを払い、健康を祈願することに重点が置かれるようになった。
 夏越の祓(はらい)には大別して二つの方法がある。ひと形(ひとがた)に自分のけがれを託して川や海に流してやるものと、茅(ち)の輪をくぐる方法(“わくぐり”という)である。
 ひと形は形代(かたしろ)ともいい、これで身体をなで、息を三度吹きかけて、けがれを移し川へ流す風習は日本に古くからある。石神井川や白子川をひと形が静かに流れてゆく風景も昔は区内のあちこちで見られた。今は紙のひと形を焼いて、その灰を流すようになった。
 わくぐりはどこの神社でも行われていた。茅の輪は茅(チガヤ)を束ねて大きな輪に作り、それを鳥居の下や、拝殿の前に設ける。大祓の祭典が終ると神官が先ず輪の中をくぐり、つづいて氏子や参詣人がくぐる。茅の輪をくぐることによって、その人の罪やけがれが祓われるのである。茅の輪は茅にかぎらず、菅(スゲ)や藁(わら)を巻いたものや、竹の輪に茅縄を巻く例もある。茅の輪から茅を一本引き抜いて、小さな輪をこしらえ家に持ち帰る風習もある。それを菅抜(すがぬき)といった。

6月のこよみ
 1日 山開き。江古田浅間神社・三原台稲荷神社の富士山(北町浅間神社は7月、北大泉八坂神社は8月)
 6日 芒種(ぼうしゅ、麦の収穫を了え、田植えを始める)
 11日 入梅
 15日 天王様(豊玉氷川神社・北大泉八坂神社)。粉初
 22日 夏至
 24日 愛宕千日詣(田柄愛宕神社は7月、金魚市が立つ)
 30日 大祓、夏越(氷川台氷川神社ほか、石神井氷川神社は7月1日)

≪6月≫ 御霊(ごりょう)を崇め祭り、鎮めて

 このコラムは、郷土史研究家の桑島新一さんに執筆いただいた「ねりまの歳事記」(昭和57年7月~昭和58年7月区報連載記事)を再構成したものです。
 こよみについても、当時のものを掲載しています。

写真上から
・あばれ神輿 牛頭天王祭礼(豊玉氷川神社 昭和31年)
・あばれ神輿 牛頭天王祭礼(豊玉氷川神社 昭和31年)
・氷川神社 茅の輪くぐり(練馬区独立60周年記念事業「練馬区の素敵な風景100選」より 平成21年)
・金魚市(愛宕神社 平成7年)