現町名26<石神井町 しゃくじいまち>

ねりまの地名今むかし

 日ごろ私たちが、何気なく呼んでいるシャクジイの名も、全国的には難読地名の一つである。
 むかし村人が井戸を掘っていたところ、石棒が出てきた。石棒には奇端(きずい)※があって、村人たちは、それを霊石と崇め、石神(いしがみ)様として祭った。通称石神神社、今の石神井神社(石神井町4-14)の始まりである。いつか、村の名もそれにちなんで石神井と呼ぶようになった。ここは石神井発祥の地ということになる。一説に石神様は、三宝寺池から出現した石剣とも伝える。
 石神井の地名が歴史に顕れるのは古い。鎌倉時代の弘安5年(1282)宇多重広(うだ  しげひろ)という武将が、娘の筥伊豆(はこいず)に石神井郷内の所領を譲った書付けがある(内閣文庫「豊島宮城(みやぎ)文書」)。また、文安5年(1448)には石神井殿が熊野宮に年貢を寄進しているし、文明9年(1477)には有名な石神井合戦があって、領主豊島氏はそのとき滅亡した。

 江戸時代、石神井は上、下二つの村に分かれ、ここは下石神井村のうち和田、北原、池淵といった。
 明治22年、町村制が施行され、上石神井村、下石神井村、関村、上土支田村が合併、大きな石神井村が生まれた。ここは大字下石神井となった。大きな石神井村の時代は43年間続いた。
 昭和7年、板橋区成立のとき、下石神井2丁目となり、同22年練馬区独立後もそのままだったが、同45年の住居表示で現町名となった。
 町の中央に石神井公園駅がある。駅は大正4年、武蔵野鉄道開通と同時に開設された。最初は石神井駅といった。今も駅前広場の一隅に駅開業を記念して建てた「石神井火車站之碑」(しゃくじいかしゃたんのひ 区有形文化財)がある。

※奇端 ・・・めでたいことの前兆として現れた不思議な現象

現町名26<石神井町 しゃくじいまち>

写真:石神井火車站之碑(石神井公園駅 平成29年)

ねりま区報 昭和60年1月21日号 掲載

このコラムは、郷土史研究家の桑島新一さんに執筆いただいた「練馬の地名今むかし」(昭和59年6月~昭和60年8月区報連載記事)と「練馬の地名今むかし(旧地名の部)」(昭和60年11月~昭和61年4月区報連載記事)を再構成したものです。