ねりまの文化財を訪ねて=4=

ねりまの文化財を訪ねて

尾張徳川家の鷹(たか)狩り

 大泉第一小学校の校門の右わきに「従是(これより)南北尾張殿鷹場」と刻まれた石柱があります。旧小榑(こぐれ)村(現在の西大泉・南大泉・大泉学園町一帯)、旧橋戸村(現在の大泉町一帯)には、江戸時代、尾張徳川家の鷹場がありました。石柱はその境界に建てられていました。
 鷹狩りは、飼い慣らした鷹を放ち、小鳥や小動物を捕らえる狩猟法です。鷹狩りは将軍の許可が必要で、鷹場は将軍から与えられていました。尾張徳川家の鷹狩りは、寛永8年(1631)から慶応3年(1867)まで合計81回行われました。目的は、軍事訓練や農村の視察に加えて、大名の威信を農民に示すことでした。鷹狩りは300名余りの尾張藩士が参加し、約10日間行われました。
 大名にとって鷹狩りは華やかな行事でしたが、鷹場に住む農民にとっては大変な負担でした。寛永21年(1644)の鷹狩りの際には、小榑村からの35名、橋戸村からの8名をはじめ、近辺の51か村から1,166名の農民が人足として徴発されました。
 鷹狩りがないときでも、鷹場に住む農民にはさまざまな規制がありました。鷹狩りに備えて道や橋を修繕しておくのはもちろんのこと、鷹狩りの獲物である鳥が逃げないように、普段から「犬猫は放し飼いにしない」「大声で人を呼ばない」「手をたたかない」「かかしを勝手に立てない」など細かい規定があり、破ると罰せられました。

 尾張徳川家の鷹場碑は、大正2年ごろまで南大泉にもう一基建っていました。こちらは現在、石神井公園ふるさと文化館で保存・展示しています。

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▽所在地 大泉第一小学校(大泉町3-16-23)校門わき
     石神井公園ふるさと文化館(石神井町5-12-16)
▽問合せ 区役所内伝統文化係

平成10年8月11日号区報

写真上:大泉第一小学校校門わきにある「尾張殿鷹場碑」(令和4年)
写真下:石神井公園ふるさと文化館に展示されている「尾張殿鷹場碑」(平成22年)