≪8月≫ 悲願の練馬区独立を達成

ねりま歳事記

はじめに

 戦争中応召で外地に行った人たちや、あるいはこの頃海外で活躍している人たちが、一様に外国で想うことは、日本料理の味と、ふる里の四季であるという。日本には美しい四季がある。だから俳句のような有季文芸が日本にだけ生きつづけてきたのである。
 昔の農家の人びとは、春の始めにその年の豊穣を神々に祈り、秋の収穫の後には神さまと共に喜び合った。それはとりもなおさず祖先の霊への感謝であり、子孫の繁栄を祈願する真摯な心でもあった。
 終戦後、農村練馬は急速にベッドタウン練馬に変貌した。練馬で生まれ、練馬で育った人は区人口の約2割だという。農地の激減した練馬では、たしかに農事にまつわる風俗や行事は少なくなった。麦もまかないし、田植えもない。練馬大根の収穫もないし、タクアンも漬けなくなった。淋しいことだが、これも時代の流れでやむを得ないことである。
 だが私たちの身近にはまだ豊かな四季がある。夏休みの子どもたちの賑やかな声が石神井公園から遠のくと、あちこちの鎮守の杜から秋祭の笛や太鼓の音が新涼の風に乗って聞こえてくる。境内の屋台店もそうだが、練馬のお酉様、大泉の妙福寺、関の本立寺の縁日も子どもの頃の郷愁を誘う。慌ただしい暮が過ぎると、お正月は美しく着飾った初詣の娘さんたちが、真白な破魔矢を手にして八幡様の石段を下りて来る。三宝寺池畔に辛夷(こぶし)の花が散り始めると、清水山の湧き水の畔りには一面に可憐なカタクリの花が咲きこぼれ、石神井川の水面には絢爛(けんらん)と桜の花が翳(かげ)をおとす。
 こんな四季折々の自然と催事が、練馬に住んでいる私たちの生活の廻りに、今も息づいているのは嬉しいことである。こうした練馬の風物に時どきの習俗や郷土の歴史を折り交ぜて十二か月、名付けて「ねりま歳事記」とはいう。どうかご叱正やご意見をお寄せ下さい。

練馬区独立記念日(8月1日)

 連載第1回目8月の暦に、練馬区民にとって見逃せないのがこの日である。今から36年前、終戦間もない昭和21年、連合軍の覚書で地方自治制度が見直されることとなった。そのひとつに、従来の東京35区を22区に統合するというのがあった。練馬の人びとは前々から遠い板橋区役所に困り果てていた。昭和7年板橋区成立の頃から練馬地域の分離という話は何回かあったが、未だに成功していなかった。練馬・石神井・大泉の人びとは今度こそ練馬区を独立させようと立ち上がった。だが今回も統合が目的であるという理由で分離独立の壁は厚い。有志たちは関係方面への陳情を毎日重ねていた。ある日、連合軍司令部へ出向いた陳情団が係の米軍人に一喝された。日本は被占領国である。独立とは何事だと。その軍人は練馬の人びとの切なる希求が、井上ひさしの小説「吉里吉里人」のように日本から独立して練馬国を建国しようとするものだと勘違いしていたのである。
 翌22年3月、練馬地域は従来通り板橋区に包含されたまま東京新22区が発足した。それからも練馬の人びとは以前にも増した運動を展開した。板橋区議会内でも練馬地域選出の議員さんたちが活躍した。そして22区発足に遅れること5か月後の8月1日、練馬地域の人びと悲願の練馬区が、遂に東京都23番目の特別区として誕生したのである。その独立記念祝賀式は13日、開進第三小学校において11万区民喜びのなかに盛大に挙行された。今、同校々庭の一隅に練馬区独立記念碑が35年の歴史を語るように建っている。

≪8月≫ 悲願の練馬区独立を達成

8月のこよみ
 1日 月おくれのお盆の月が始まる日を昔の農家では「お釜の口あけ」といい、
    ご馳走をつくっていろいろな行事を行った
 7日 月おくれの七夕
 8日 立秋。この日以前の2週間が土用。虫干し等で忙しい
 13日 旧の迎え盆
 15日 送り盆。石神井・大泉の古い農家では今も旧盆の家が多い

このコラムは、郷土史研究家の桑島新一さんに執筆いただいた「ねりまの歳事記」(昭和57年7月~昭和58年7月区報連載記事)を再構成したものです。
こよみについても、当時のものを掲載しています。

写真:独立当初の練馬区役所仮庁舎(開進第三小学校旧講堂)