現町名10<貫井 ぬくい>

ねりまの地名今むかし

 旧上練馬村のうちの小名(こな)である。江戸時代の上練馬村は今の田柄、春日町、高松、向山、光が丘(一部)を含む大村であった。上練馬貫井村とも称して一村の形をとることもあった。
 むかし弘法大師がこの地を訪れ、水不足に苦しむ村民の姿を見て、持っていた杖で大地を突いたところ、泉が湧き出した。これが地名の由来だという。湧き水でできた池が貫井中学校グランド辺にあった。南池山貫井寺円光院(貫井5-7)の号もこの伝説によるという。
 昭和7年板橋区成立のとき「練馬貫井町」となり、同22年練馬区独立後、練馬の冠称をとって貫井町となった。同40年住居表示が実施され現町名となった。
 西武池袋線富士見台駅は貫井3丁目にある。だから大正14年開設当初は貫井駅といったが、昭和14年現駅名に改めた。
 昭和57年頃、貫井2-18付近で遺跡の発掘が行われた。数多くの出土品のなかに、古代の国司(今の知事)級高官の装身具が見つかった。もしかすると、この辺は武蔵国にとって歴史的に重要な土地であるかもしれない。

現町名10<貫井 ぬくい>

写真:円光院山門(昭和56年)

ねりま区報 昭和59年9月11日号 掲載

このコラムは、郷土史研究家の桑島新一さんに執筆いただいた「練馬の地名今むかし」(昭和59年6月~昭和60年8月区報連載記事)と「練馬の地名今むかし(旧地名の部)」(昭和60年11月~昭和61年4月区報連載記事)を再構成したものです。