旧地名2<上練馬村 かみねりまむら>

ねりまの地名今むかし

現在の貫井光が丘の一部、田柄高松春日町向山

※上の町名をクリックすると、その町名のエピソードが読めます

旧地名2<上練馬村 かみねりまむら>

 練馬の地名語源に、いくつかの説があることは既に紹介した(「下練馬村」の「練馬」を参照)。古代宿駅の名に由来する乗瀦(のりぬま)説。土器の材料となる粘土をねった練場(ねりば)説。どろぼうが馬を盗んできては訓練したという馬調練説。石神井川が豊水期にあったころ、豊島園付近が広大な沼であったろうとする根沼(ねぬま)説。残念ながらどれも定説になっていない。
 『新編武蔵風土記稿』は、上練馬村の小名(こな)を五つ、「海老ケ谷(えびがやつ)」、「中ノ宮」、「高松」、「貫井」、「田柄」と記す。これらの地名は、寛永16年(1639)の上練馬村検地帳にも載っており、江戸時代以前から言われていたに違いない。
 戦国時代、豊島氏の没落後、練馬城(豊島園跡地)は海老名左近という武将の居城になった。『新編武蔵風土記稿』は「海老ケ谷ト唱ル地ハ則チ左近ノ居跡ナリト云」と記している。しかし、地名の語源から、エビは、台地や丘陵が海老形に湾曲するところを指すことが多い。ここもこうした地形をしている。「中ノ宮」は、今もバス停にその名が残る。この辺りの中心となるお宮があっての地名だろうが、現在はその所在も明らかでない。
 高松・貫井・田柄は現町名。旧小名がこのように、そろって残ったのは区内でもほかにない。
 高松の内に「平松」という地名がある。特に背の低い松があったわけでなく、普通の、という意味のヒラであろう。「貫井」は弘法大師の湧水伝説をもつ地名だが、実は各地にある温井(ぬくい)が語源らしい。「田柄」は宝(たから)とも、田涸(たかれ)とも解されるが、区内難解地名の一つである。
 明治初年、村内の小名は全部で56あった。同22年、町村制実施で下土支田村を合併した。
 昭和7年、板橋区成立で向山町、春日町が新しくできた。
 同18年、田柄、土支田、高松に成増飛行場が建設された。終戦後、飛行場跡はグラントハイツと呼ばれたが、同44年、住居表示で光が丘となった。

ねりま区報 昭和60年11月11日号 掲載

このコラムは、郷土史研究家の桑島新一さんに執筆いただいた「練馬の地名今むかし」(昭和59年6月~昭和60年8月区報連載記事)と「練馬の地名今むかし(旧地名の部)」(昭和60年11月~昭和61年4月区報連載記事)を再構成したものです。