現町名7 <栄町 さかえちょう>

ねりまの地名今むかし

 栄町は区内の町単位で一番面積が小さく、人口と世帯の密度は最高である。さしずめ練馬の下町というところか。
 江戸時代は下練馬村の小名(こな)「羽根沢(はねさわ)」の内であった。明治になって「羽根沢」は「羽根木」、「北羽沢(きたはねざわ)」、「南羽沢」、「羽沢前(はねざわまえ)」の4つに分かれた。ここは「羽沢前」であった。
 昭和7年、市郡合併が行われた。練馬、石神井、大泉は北豊島郡から新たにできた板橋区に属した。羽沢地区は練馬南町1丁目となった。
 昭和22年、練馬区が独立した。しばらくして地番整理が検討され始めた。南町1丁目は、むかしの4つの小字のとおり、羽沢1~4丁目とする計画であった。しかし、江古田駅周辺の商業地域と、その他の住居地域とで、町名についての合意がならず、1丁目となるはずであった「羽沢前」だけが栄町を名乗り、羽沢は3丁目までとなった。
 栄町の名は、もちろん練馬区の表玄関としての町の繁栄を願って名付けられたのである。都内の栄町は十指に余る。古い地名の栄は堺や境に通じ、郡や村の境に多くみられる。奇しくもここは旧下練馬、上板橋、中新井3か村の村境であった。

現町名7 <栄町 さかえちょう>

写真:栄町本通り商店街(江古田祭り 昭和57年)

ねりま区報 昭和60年2月1日号 掲載

このコラムは、郷土史研究家の桑島新一さんに執筆いただいた「練馬の地名今むかし」(昭和59年6月~昭和60年8月区報連載記事)と「練馬の地名今むかし(旧地名の部)」(昭和60年11月~昭和61年4月区報連載記事)を再構成したものです。