九頭竜橋(くずりゅうばし)

ねりまの伝説

 
 富士見台駅の南、今は暗渠(あんきょ)になってしまったが千川上水にかかっていた橋を九頭竜橋と言い、そのたもとにはいくつかの石塔が建っていた。
 九頭竜という名がどうしてつけられたのか、わからないけれど、この西方の上水にかけられた橋に崩橋というのがあったことが、明治22年頃の千川上水両岸敷地桜樹植付願の付図にあるので、このくずれからきたのか、付図を書く人が九頭竜がわからず、崩れとしてしまったのか、また全く関係がないのかはっきりしない。あの付近、石神井川の谷間が千川上水近くまで入りこんで大雨の時など千川のくずれることもあったかもしれないが、この九頭竜にちなんで、九頭竜弁天の伝説が伝わっている。

 文明9年(1477)豊島氏が石神井城に亡んだ時、家臣は近住にかくれて、主君の仇太田道灌をねらっていたが日々盛んになってゆく道灌に近づく事が出来ない。遺臣の一人渡辺竜神は遂に自ら命を絶って太田氏を亡す事を日頃念ずる九頭竜弁天に祈ったという。遂に、文明18年(1486)7月26日、道灌は主君上杉定正の命を受けた曽我兵庫のため、糟谷の館に暗殺され、その目的を達することが出来たのであるが、弁天を祀るものとてなくその怨念はこの土地にこもったのであろう。やがて千川が出来、橋もかけられたが、この橋を渡るものに災いがかかり、大蛇を見て病気になる、大入道を見て気狂いになる、特にここはくずれるという所から、嫁入り行列は絶対に通ってはいけないとされるようになった。

 

 これは渡辺竜神の弁天をまつるという遺言が果たされていないからだという者があって、安芸の厳島神社の神を祀るようになった。今、上水の暗渠の工事によって、この神社は橋の東方に再建されたが、世に九頭竜弁天と称し、昭和49年に建てられた由来書が建っている。

昭和53年9月21日号区報

写真上:くづりゅうばし(昭和27年)
写真下:九頭竜弁財天 (平成30年9月 中村北4-12)