(8)戦後の都市計画
都市計画法は、大正8年の公布以来約25年を経過して終戦を迎えてから、戦災復興のために真に効力を発揮した。昭和21年9月、戦災復興を容易にするため特別都市計画法が公布され、2年後の24年7月、東京特別都市計画緑地地区として18,010haを指定し、建築制限1割地区と定めた。首都の生鮮食糧品自給の基地とするのがその目的であったが、この厳しい建築制限は宅地供給の妨げになるという理由で、地主や地権者をはじめ、練馬を含む周辺部の特別区議会・区長会の猛反対にあい、昭和43年に廃止となった。
区内で戦後初の土地区画整理
緑地地域の廃止後、昭和44年に、良好な街づくりを行う保証として土地区画整理を施行すべき区域の指定が行われ、練馬区域では約44%に及ぶ約2,104haが指定された。
しかし、この土地区画整理が実施されないままに、無計画な宅地化は急速に進み、ついに今日のごとき都市の実態を招くに至った。
練馬区における戦後初の土地区画整理事業は、ようやく昭和59年に大泉町二丁目地区で事業化された。(※1)
風致地区も都市計画法による古い地域地区制度で、石神井風致地区は昭和5年、大泉風致地区は8年に指定されて今日に至っているが、大泉風致地区は既に見直しを図るべき実態になっている。
区内の8割が住居専用地域
都市計画法は公布以来50年にして、昭和44年新都市計画法に変わった。
新法での最重要点は、市街化区域と市街化調整区域の線引きという基本的な土地利用計画が打ち出されたことによって、東京23区部は全域市街化区域となった。
しかし、練馬区は、用途地域としては、80%が住居専用地域、残りが沿道型の住居地域、そして鉄道駅前の商業地域となっており、依然として首都のベッドタウンの地位は変わらない。
区内交通網の問題点
住宅地が密集するにつれて、大量輸送施設の新設・改良は急速に行われなければならない。
都市高速鉄道(地下鉄)8号線の都市計画決定は昭和37年であるが、都道放射35・36号線の事業化が遅れたため、開通は決定から約20年後の58年となった。(※2)
また、本区の幹線鉄道というべき西武池袋線の連続立体交差の都市計画決定は昭和46年であるが、これもようやく一部区間(富士見台駅~石神井公園駅付近)の建設が進められているだけである。このため、区内の南北交通は踏切で遮断され地域交通をマヒさせている(※3)。
道路網整備は、地域社会の命綱である。練馬区は放射幹線道路によって東西の交通はまずまずであるが、南北交通はゼロに等しい。今後、再開発地区を決定するにしても、地区計画を円滑に進めるにしても、新設街区道路に対する受皿となる幹線道路計画で事業化しない限り、都市計画は不燃焼のまま終わってしまうであろう。(※4)
大規模公園の決定は戦後から
区内にある東京都の公園の中では、土地区画整理による昭和12年開園の中新井公園が第1号であるが、戦後の32年には大規模な都市公園の決定があった。高稲荷、北大泉(※5)、大泉井頭の各公園のほかに、風致公園として石神井、運動公園として上板橋(城北中央)、総合公園として稲荷山、練馬城址の各公園などが決定された。
昭和49年に決定をみた光が丘公園(60.1ha)は、一団地の住宅地の中にあって区内最大を誇るもので、今後はこの種の公園は期待できないのではないだろうか。
河川改修と下水道整備
都市計画による都市河川の改修整備は戦災復興事業として活発に行われることになり、石神井川は昭和22年、白子側は32年に事業決定されている。両河川とも昭和55年までに時間降雨量30mmに対応する暫定改修が完了し、現在は、1時間50mmの降雨に対応できる本改修工事を下流から進めている。
区内の公共下水道整備は最も遅れていた部門である。区内の公共下水道計画が決定されたのは昭和39年であった。61年3月末現在で、区内の普及率は76%となっている。(※6)
河川改修と公共下水道整備の完成後には、果たして石神井川や白子川に清流が蘇るであろうか。都市河川に新しい水を流すことも都市計画の仕事である。
親水計画がどのようにして実現するか、区への期待は大きい。
(※1)施工面積約2.2ha。事業終了は平成2年8月。
(※2)都市高速鉄道(地下鉄)8号線は現在の東京メトロ有楽町線。練馬駅から小竹向原駅までの西武有楽町線が開通したのは平成6年。
(※3)昭和46年1月に、桜台駅~石神井公園駅間高架複々線化が都市計画決定され、平成17年6月には、石神井公園駅~大泉学園駅間の高架化について都市計画変更が決定された。桜台駅付近~大泉学園駅付近の連続立体交差化が完了したのは平成27年1月で、計28か所の踏切が除去された。
(※4)区内を南北に走る幹線道路である環状7号線が完成したのは昭和60年1月、環状8号線が完成したのは平成18年5月である。
(※5)現在の大泉町もみじやま公園。
(※6)令和7年に、おおむね100%を達成している。


昭和62年2月1日号区報
上写真:戦後初の大泉町二丁目土地区画整理事業の竣工記念碑(中里泉公園内) 平成5年
下写真:中里泉公園 平成5年
