40 大泉に今も残る屋号と講(こう)

古老が語るねりまのむかし

見米 留治郎さん(大正7年生まれ 東大泉在住)

<農家の屋号>

 私は現在、大泉農協の第20区(東大泉1・3丁目と2丁目西端の一部)の支部に属しています。農協が発足した昭和23年当時の支部のメンバーは、正組合員が22名、準組合員は1名でした。いずれも古くから続いた農家で、こうした家には本来の姓のほかに屋号というものがあります。もともと同性の家が地域に集まっていて、姓では家を区別できなかったので、それぞれの家を区別するには、屋号は便利なものでした。
 屋号には、それぞれ由来があります。いくつかの例を挙げますと、ある家では、天神様の小さな祠(ほこら)があった小高い場所に位置していたことから「天神山」と称し、また、ある家では、近くの稲荷神社前の田んぼに「溝野(みぞの)」あるいは「味噌野(みその)」という飛び地があったことから「みその」と称しています。
 「久保」「外山」は、旧小字(こあざ)名によるものと思います。妙延寺の山林の横手に「横山」、前原と中村の一部の平らな開墾地辺りに「原」という家もあります。
 ただ、意味のはっきりしない屋号もあり、「野火除(のびよけ)」は野火を避けたことからではないかとか、野火を防ぐための間道の際に家があったことからではないかといわれており、また、「かいとはた」は、清戸道(きよとみち)の端にあるから、あるいは、古い時代の地名「久米垣内(くめかいと)」が残ったからといわれています。

<講は親ぼくの場>

 私たちの支部では、古くから行われて来た講が今も続けられています。
 講とは、信仰にもとづく集まりを指し、この団体が単位となって、さまざまな行事(=講)を行います。
 「十二日講」もその一つで、講中(構成員)は現在19家(支部外の5家を含む)です。毎月12日にヤド(宿)という当番の家に集まり(宿は毎月順番制)、持ち回りのお題目と鬼子母神の描かれた軸を床の間に祭って読経を行うのです。
 読経の前に全員で無尽(むじん ※)が行われますが、今は形式ばかりになっています。読経後はお神酒が出て、団らんの場となります。講は、お互いの親ぼくの場でもあり、また、農協の支部の連絡会を兼ねているところもあります。

 ※無尽:構成員が一定の額を出し合ってくじを引き、結果に応じて分ける。本来は、互いの掛け金で金銭を融通する。

<講に残る昔ながらの様式>

 このほかに、北野神社にちなむ「天神講」が年1回、2月24日に「お日待(ひまち =一夜を明かす)」の行事として行われています。講中は「十二日講」の人々と同じです。つぎの年度のヤドに申し送る「戸渡し」という行事などのときには、野謡(のうたい =行事の時に歌う歌)が唄われます。
 また、「みその稲荷」の初午(はつうま)行事も、講中11名で毎年3月の初午の日に行われています。前日に宵宮(よいみや =祭日の前夜に行う小さい祭)が行われ、当日は、神社のある宮原で、神社の祭祀を担当している妙延寺ご住職の祈祷の後にお神酒などが出て、後当番のヤドに集まって祭祀を行います。野謡はこの行事の中でも唄われます。

聞き手:練馬区史編さん専門委員 亀井邦彦
平成4年4月21日号区報

写真:大泉農業協同組合(昭和25年)