現町名29<石神井台 しゃくじいだい>

ねりまの地名今むかし

 旧上石神井村のうち石神井川の北、小名(こな)で大門(だいもん)、沼部(ぬまべ)、西村(にしむら)、小関(こぜき)をいう。「大門」という地名は、城や大寺の門前を指し、区内には、ここのほか練馬と高松に残っている。
 3代将軍家光は、鷹狩りのたびによく三宝寺で休憩した(『徳川実紀』)。だから三宝寺の山門を御成門(おなりもん 区有形文化財)と呼ぶ。地名の「大門」は、その御成門に由来する。
 石神井の語源となった石神様は、一説に三宝寺池から出現したともいう。歴史的文献に見える石神井については前にふれたが、石神信仰そのものはさらに古く、扇山遺跡(石神井台4丁目)や、天祖神社東遺跡(関町北3丁目)などから縄文時代の石棒が発見されている。
 「大門」の地名は中世石神井城の大手門に起こるという説もある。その石神井城(石神井台1丁目)落城の悲話に登場する照姫を葬ったと伝える姫塚が、三宝寺池北側の台地上にある。かたわらに城主豊島泰経の殿塚もある。
 明治22年、上石神井村は下石神井、谷原、田中、上土支田、関の5か村と合併、大きな石神井村のうちの一つの大字となる。
 昭和7年、板橋区上石神井が誕生。石神井川の南を1丁目、北を2丁目とした。
 昭和45年、住居表示で、上石神井2丁目が石神井台となった。石神井川を南限とする広い台地だからである。

現町名29<石神井台 しゃくじいだい>

写真:殿塚(平成4年)
   姫塚の写真は、エピソード『ねりま歳事記』の「≪10月≫生活の中に生きている“月”」に掲載

ねりま区報 昭和60年3月21日号 掲載

このコラムは、郷土史研究家の桑島新一さんに執筆いただいた「練馬の地名今むかし」(昭和59年6月~昭和60年8月区報連載記事)と「練馬の地名今むかし(旧地名の部)」(昭和60年11月~昭和61年4月区報連載記事)を再構成したものです。