現町名18<富士見台 ふじみだい>

ねりまの地名今むかし

 旧谷原村のうち石神井川の南側をいう。明治22年、石神井村大字谷原。昭和7年、板橋区成立の際、石神井谷原町1丁目。練馬区独立後、石神井の冠称をとった。そして、昭和39年、住居表示で現町名となった。
 東京に富士見と名の付く町や坂はよく知られたものだけでも20に余る。
 区内でも富士山(旧下練馬村の小字)、富士下(旧橋戸村の小字)、富士見池(関町北)、高富士橋、富士見橋(いずれも石神井川)など、富士にちなむ地名は多い。
 昭和10年代、東京近郊の電鉄会社は沿線開発に力を注ぎ、こぞって住宅地分譲を行った。当時、武蔵野鉄道といった西武池袋線沿線にも桜台や富士見台と名付けた分譲地が売り出された。瀟洒(しょうしゃ)な文化住宅の建ち並んだこの辺では、いつでも西の方に四季折々の富士山の姿が望めた。最寄りの貫井駅のホームからも見えた。昭和14年、駅名はそれにふさわしく富士見台駅と改められた。
 現在は住宅や商店が軒を並べ、正月などの空気の澄んだ天気の良い日でないと富士山は見えなくなってしまった。だから、”ちょっぴり富士見台”である。

現町名18<富士見台 ふじみだい>

写真:富士見台にあった釣堀(富士見園釣堀 昭和45年)

ねりま区報 昭和59年10月11日号 掲載

このコラムは、郷土史研究家の桑島新一さんに執筆いただいた「練馬の地名今むかし」(昭和59年6月~昭和60年8月区報連載記事)と「練馬の地名今むかし(旧地名の部)」(昭和60年11月~昭和61年4月区報連載記事)を再構成したものです。