高稲荷と大蛇、堰ばあさん、栗山の大蛇

ねりまの伝説

高稲荷と大蛇

 
 桜台六丁目の高稲荷は、眼下に石神井川の流れを望み、見晴らしの素晴らしい台地の上にある。昔はその崖下に大きな沼があって、主の大蛇が住んでいたそうである。練馬村のある若者が、どうしたことかこの大蛇に見込まれてついに沼の中に引き入れられてしまった。この若者は、篠一族の者だともいうが、この霊をとむらうために祭ったのが高稲荷だともいわれている。

堰ばあさん

 
 むかし、石神井川のほとりに「こうじや(糀屋)」という荒れ野があった。草木がうっそうと生い茂っていて、昼でもなお暗いさびしいところであった。現在の大橋付近を流れている石神井川の水は清く澄み、堰の水はこころよい音を立てて落ちていた。その堰のそばに一人の老婆が住んでいたが、いつの間にか姿が見えなくなってしまった。村人たちは不思議に思って行ってみると大きな蛇がそこにいた。これは、ばあさんの化身だということになり、村人は相談して堰のかたわらに祠をたて堰守の神として供養をした。だれということなくこの祠を「堰ばあさん」とよぶようになった。
 ところで、この祠に参詣すると、咳にご利益があって、百日咳などはぴたりとなおることから、近郷近在からの参詣人が来るようになった。帰りには石神井川の水を汲んで持ちかえり子どもに飲ませた。そしてご利益のあった人は、そのお礼として幟を奉納したという。しかし年々その祠も風雨のために朽ちてしまったので、昭和24年4月22日、小泉孝太郎ほか3名が発起人となって祠を新しく建てかえ供養した。祠は今こわれて跡形もない。
 この類の話は、ここから東北へ行った重現(※)にもあって、現在の消防署の出張所(※2)の前にある享保4年(1719)の庚申塔(※3)には、竹の柄杓があげられていた。耳が聞こえるようになったので、底ぬけの柄杓をあげるという信仰である。

※ここから東北へ行った重現 ・・・旧下練馬村の地名。「重見」とも書き、「じゅう
               げん」「しげみ」などとも読まれる    
※2 現在の消防署の出張所  ・・・練馬消防署平和台出張所(平和台4-9-3)
※3 享保4年の庚申塔   ・・・現在は荘厳寺(氷川台3-14)に移設されている

栗山の大蛇

 むかし、栗山辺(現在の練馬一~三丁目)に大蛇がすんでいた。しかし、この大蛇の姿をみたものは唯一人としていない。ただ、大蛇の通ったあとがはっきりとわかるので、だれも大蛇がいることに疑をもつものはなかった。ところで、この大蛇のでない年は必ず凶作だというので、農民たちは姿の見えない大蛇の出現を望んだと伝えられている。

昭和54年3月21日号区報

写真上:高稲荷公園(昭和31年 並木沿いに石神井川が流れる)
写真下:堰ばあさんのクロマツ(平成17年 ねりまの名木指定)
    *写真向かって右側は練馬総合運動場公園。糀屋橋たもとの大きな松の木が立つあたりが祠のあとといわれている。