円光院

ねりまの伝説

円光院

 昔、円長という法師がこの地に来て密法の修業をしていたが、どうしたことか急に腰や脚が痛む病気にかかった。いろいろの治療をしたが少しもききめがない。万策尽きた法師は七日間の断食をし、一念こめて武州大鱗山の子聖大権現を拝み、一日も早く病気がなおりますようにと祈った。満願の日紫雲がたなびいた中に尊像が現われ「熱心な信仰心に感心したのでお前の病気をなおしてあげよう。昔私が諸国を行脚してこの地に来た時、夏の大旱魃に困っている百姓の話を聞き、それを救ってあげようと思った。暫く観法を凝してから川上数十歩の所を調べ、法杖で田の畔に穴を掘り水脈をふさいでいた石ころを取り除いたところ、水がこんこんと湧き出て田をうるおした。この時取り除いた石ころがここにあるのでこれを痛むところにあて撫でなさい」といわれた夢を見て目が覚めた。

 痛みに苦しんでいた円長法師は「ありがたい夢を見た。正夢に違いない」と、近くの百姓にこの話をして石のありかを尋ねると、小槌の形をした奇妙な自然石が見つかった。これが夢に見た霊石に違いないと家に持ち帰り、一生けんめい念仏を唱えながら患部を撫でさすった。すると次第に痛みが薄らぎ、3日もたたないうちにすっかりなおってしまった。紫雲に乗った尊像の法杖によって、地中から湧き出した水によってこの地が救われたので、それからこの地を貫井というようになった。又病気をなおしてもらった円長法師は感謝報恩の念を現わすため永禄7年(1567)に一堂を建てて貫井寺と呼び、近くに祠を建て子聖大権現を霊石と一緒に安置した。これが南池山貫井寺円光院の始まりであるという。

 子聖大権現は昔から子ノ年、子ノ月、子ノ日と子が三つ重なる12年目に御開帳をする。新編武蔵風土記稿の中にある円光院の記事に「子権現社は円光院持で、円光院にはこの他に天神社、観音堂がある」と出ている。ここに記された観音堂に安置されている観世音菩薩が「子ノ聖観世音」で、これを馬の守り本尊である馬頭観世音であると言って信仰する者が多く、縁日には遠くの村々からも参拝者がつめかけて賑わった。毎年正月16日には付近の馬持衆が美しく着飾った馬(時には牛も)を引いて参拝し、参拝後馬駆け行事を行った。正式の馬場はないが馬方に手綱をとられて観音堂の周囲を巡るのである。この辺には馬の元締めもいて、一軒で何頭かの馬を飼い、粉や沢庵その他野菜などの輸送を引き受けていた。その後、寺は北方の現在地に移され、以前寺のあったところは練馬第二小学校の東側に当り、寺前の名が残されている。

昭和53年12月21日号区報

写真:円光院(平成19年  貫井5-7-3)