円浄法師さま(耳塚)

ねりまの伝説

 むかし、上練馬村字中の宮(春日町5-35)に、たいへん信仰心のあつい老婆がいた。老婆は村人たちに、「もうこの世に生きているのがいやになったので、わたしを土の中に埋めてくれないか」と頼んだので、村人たちは「そんなことはできない、ばあちゃんはもっともっと長生きしておくれ」といって説得につとめたが、なんといっても聞きいれないので、村人たちは困って、一同で相談した結果、老婆のいうとおり埋めることにした。親切な村人たちは、土の中に入ったら、さぞ苦しいだろうし、腹もすくだろうと心配して、大きな桶を用意し、その中に食物をたくさんいれ、桶のふたに穴をあけて、それに長い竹の節をぬいたものを差し込んで、呼吸ができるようにしてやった。いよいよ老婆は身を清め、鐘を持ってその桶に入り、みんなに厚く礼を述べてから「鐘の音が聞こえなくなったら、死んだと思って、線香をあげておくれ」といった。村人たちは竹筒の先が塚の上に出るように周囲から土を盛りあげ、その塚のまわりに木の苗を植えた。

 一同はその後も心配して、野良仕事の行き帰りには必ず竹筒に耳を当て、鐘の音を聞いていたが、そのうちに鐘の音もかすかになり、ついにぷっつり聞こえなくなってしまった。しかし、不思議なことに、耳の悪い人が竹筒に耳を当てると耳がよく聞こえるようになり、また花立ての竹筒にたまった水で耳を洗っても耳の病気がよくなるので、たちまちこのことが近郷近在に知れわたり、遠くから参詣人が来るようになって、誰いうとなく耳塚といわれるようになった。明治44年(1911)4月、篠田粂太郎ほか7名が発起人となって、盛大なお祭りをして仏を供養し、「円浄法師之位」の石碑を建立した。塚は昔の村道沿いにあって、高さ約2m、カシやケヤキの大木が茂り、法師のご命日(26日)には、篠田粂五郎家で供養を行っている。

円浄法師さま(耳塚)

昭和53年6月21日号区報

写真:耳塚(円浄法師塚 春日町5-35)
   *圓淨法師塚は区登録文化財(史跡)