現町名9 <桜台 さくらだい>

ねりまの地名今むかし

 桜台は、石神井川の桜と、千川の桜に囲まれた文字通り桜の町であった。千川の桜は、大正4年、天皇即位(大正天皇)を記念して、千川上水沿いの村々が桜や楓(かえで)を7キロメートルにわたって植樹したものである。江古田から練馬まで、千川堤の桜は、玉川上水の小金井堤の桜に対して、「新小金井の桜」と呼ばれ、東京の新名所となった。昭和28年頃から千川は暗きょ化され、両岸の桜はつぎつぎに伐(き)られていった。 その後昭和60年代に入り、地元の有志により千川通りに桜が植樹され、「桜の碑」が建てられた。また、石神井川の桜は昭和9年、皇太子誕生(明仁上皇)を記念して沿岸の有志が植えた。
 昭和4年下練馬村から練馬町へ、さらに同7年市郡合併で、板橋区練馬南町のうち2丁目・3丁目となった。大正4年の武蔵野鉄道開通からだいぶ遅れて昭和11年に駅ができ、桜の名所にちなんで「桜台」とつけられた。旧下練馬村(現在の北町の自衛隊付近)に桜台という小字があった。それもヒントになったという。
 昭和22年練馬区が独立した。初の区役所は開進第三小(桜台2-18)講堂に置かれ、今も校庭にその記念碑がある。同37年南町2丁目が地番整理で桜台1~3丁目となった。翌38年に、決まったばかりの住居表示に関する法律で、南町3丁目が桜台4~6丁目となった。地番整理と住居表示が半分ずつの町も珍しい。桜台4~6丁目は同時に実施された練馬と共に住居表示の都内第1号である。
 廣徳寺(こうとくじ 桜台6-20)は関東大震災で台東区下谷から移ってきた。柳生三代をはじめ、多くの大名墓があることで知られる。
 石神井川のほとりにお浜井戸(桜台6-32)と呼ばれる所がある。氷川神社(氷川台4-47)のご神体が流れ着いた場所だという。3年に一度の春の大祭で、お里帰りのご神幸(しんこう)があり、ここで鶴の舞が行われる。高稲荷(たかいなり)神社(桜台6-25)の桜はその頃ちょうど満開である。

現町名9 <桜台 さくらだい>

写真:千川上水の桜並木(昭和27年)

ねりま区報 昭和60年4月1日号 掲載

このコラムは、郷土史研究家の桑島新一さんに執筆いただいた「練馬の地名今むかし」(昭和59年6月~昭和60年8月区報連載記事)と「練馬の地名今むかし(旧地名の部)」(昭和60年11月~昭和61年4月区報連載記事)を再構成したものです。